日々の気付きノート

日々の気付きをつづります。

被害者意識から抜け出せそうな現在~許す・許さないの二極化からの統合へ~

 

多分、これをアウトプットしていけば私は徐々に葛藤から抜け出せるのかな…って思っていることがあります。

 

今までやんわりとしか触れてこなかったことー父からの虐待行為について。

 

別に父をどうこうしたい訳でも、私はこれからサバイバーとして啓蒙活動したい訳でもなくて、私がこれまで抱えていた葛藤をいよいよ手放せる時が来たのかもしれない…と思ったので、試しに自分の感情と向き合ってみようと今朝、思ったんです。

 

多分、当時の辛い記憶を振り返るので、私自身しんどくなるかもしれませんし、読んでくださる方も気持ちがどんよりして嫌な気分になるかもしれませんので、ここで今日はUターンしていただき、また次回来ていただければと思います。^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、アウトプットしていきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は幼少期から心理的虐待と性的虐待を経験しています。

 

性的虐待は実際の行為(身体接触)は小学生まででしたが、思春期は私の身体を見てはニヤニヤしながら嫌な言葉を吐いてきました。

 

また、「性教育だ」と言いながら幼少期からわいせつなビデオや雑誌など私がいる前でも平気で読み、父の“おふざけ”で陰部を顔に近づけられて遊ぶ(?)ということもされていました。

 

心理的虐待は今でもたまにある怒鳴り声とかなので、父が自分の感情をコントロールできていない理由からという認識でいますので現在はスルー(無視)を心がけています。

 

父も修行中なのだな…と。

 

ただ、私はずっと「女性の悲鳴」が極度に苦手です。

女性の悲鳴の中でもジェットコースターやお化け屋敷などの悲鳴は大丈夫なのです。

何というか、いつの間にか女性の悲鳴を聞き分けられるようになっていて、ドラマや映画なので“襲われている悲鳴”が本当に恐怖感を持ってしまいます。

 

例えば、部屋にいて、リビングからそのような悲鳴(TVから)が聞こえてきた場合、自分の中で「これは、男性に襲われている悲鳴なのか?ケンカしている悲鳴なのか?はたまたサスペンスドラマか…?」など、ドキドキしながらもリビングへ行ってどのような場面なのか確認しないと恐怖心でいっぱいになります。

 

おそらく、この恐怖心は幼少期に見てしまったわいせつなビデオや雑誌などが影響していると考えられます。

子どもの頃の恐怖感というのは大人で受けた恐怖感よりも影響力が強いです。自分の命を守るためではあるのですが、これがずっと私の中で根深い葛藤となっていました。

 

私が痩せるのが怖かった理由は女性らしい体型になって父から襲われるんじゃないかという恐怖があったからー

私が好きな人が出来てもお付き合いができなかったのは、深い付き合いになると身体の関係になるのが怖かったからー

 

そんな葛藤をこれまでは抱いてきました。

 

でも、最近、自己肯定感を高めていき、自分自身に自信と誇りが芽生え始め、人生が生きやすくなってから私の中から“被害者意識”が薄れていくのを実感していきました。

 

父親が許せない(助けてくれなかった母親を許せない)

父親を許したい(助けてくれなかった母親を許したい)

 

こういう二極化の感情を更に俯瞰して統合する感覚ーこれが段々と身についてきました。

これはポジティブな方へ向くでもなく、ネガティブもポジティブも存在しない、「ただの出来事」として捉えられるようになってきました。

 

 

…ここまで書いてきて若干の不快な感情が出てきましたが、ただただそのままを受け入れてそのままにしておくといつの間にか消えていきました。

なので、続けます。

 

 

これは“克服”という感覚でも、“乗り越えた”という感覚でもなく、“執着しなくなった”という表現が一番かもしれません。

 

そもそもその出来事に意味づけをしなくなったーという感覚。

 

これは、私の中では大変喜ばしい成長で、ここの葛藤がなくなることで、恋愛においても自由を手に入れたと思っています。(笑)

 

そして、私は今後、素敵な方としか巡り合わないでしょうね。(笑)

きっと、それ以外の方とは“違和感”を覚えるはずです。^^

それだけ、現在は自分を大切にできている証だと思います。

 

 

時間はかかりましたが、私はようやく葛藤を断捨離できそうです。^^

 

 

※文章読んでいただければ分かるとは思いますが、私はどこかの機関に繋げたいとか、助けを求めている訳ではなく、ただの自分の成長の過程としてアウトプットしたいだけでしたので、機関の紹介などはご遠慮ください。

※また、過去や現在辛い想いをされている方に対してのアドバイスの内容でもありません。あくまで、私自身の解釈によって納得できたという記録を残したかっただけなのです。

※ブログにアップした理由は、読まれる・読まれない以前に、“ブログを公開できた”という体験をしたかったからです。これまで“なかったことにしたい”という想いからようやくこの出来事を受け入れられる段階へと入っていったことを自分自身に称賛したかったからです。

 

 

 

 

ブログ続けてて良かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(*・ω・)ノシ♪